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白紙の原稿 1
2024/08/12
『LED』への思考が働いてきたので、そろそろ続きを書いて一章くらいまではいきたいところではある。 そもそも一章がどこまでなのか、というのはあるんだけど。
長編を書いたことないんで、長編を書くというのはどういうことか、というのを今一番形になりそうなやつで試したい。
今日の夢、VRMMOとかなんか、そういう感じっぽかったな
内容詳しく覚えてないけど、カワイイ武器とかかっこいい武器を使いたいのに、クエストとかイベントをクリアしていくとなぜか聖属性の悪魔か鬼みたいなのがモチーフのゴツいハンマーが出てきてアップグレードされてゆく、という感じだったな
寝起きに、「自分が桃太郎を世界設定自由で書き直すならどうするだろう」と考えたから、たぶんそういうモチーフが夢の中にあったんだな。
もとは(内容見てないけど)ポケモンSVのDLCがやってるモチーフかなぁ。
あと、寝る前に読んでた漫画の中に、ファンタジー世界にチューンナップした桃太郎が出てきていたから、そういうのもあるだろうな。
心理学知識が錆びついていないのを確認したい。ゆえに、これを引用しながら誰かの悩みやらを聞きたいみたいなことがある。
あとは人物とかへの解釈が鈍ってないのの確認もあるかなぁ。
基本的にぼくは解釈とか感覚で生きているよな。だから定期的に、それが人に受け入れられるものであり、人の役に立つものであるということを確かめたくなる。
心理学的な文脈での承認欲求やね。
承認欲求、SNSでの使い方とかはすごく拡大解釈されているというか、承認欲求、といったときに指すものが普通に「人から見られたい」とか、まぁふぁぼリツとかを求める欲望のことを指している感じがするんだよな。
ほんとうはもうちょっと健全なものであるはずなんだが。
ここ二年ほど伝えたいことなどなにもない期に入っていて、そして何かしらの伝えたいことが浮かんでは消えてゆくさだめ。
ていうか、普通に、小説を書くという行いをしていなさすぎて、小説的な文章への忌避というか、苦手意識みたいなものが生まれてきているのかもしれない。
短歌はインスタントな創作感を醸し出していて、浮かんだ幻覚をそのまま並べればそうなってしまうし、人に伝わらなくてもいいというのを基本姿勢として持っているからなぁ。
この間の幻覚の話は面白かったな。僕は幻覚を作品を読むときにも作品を書くときにも重視している。
プロットと設定の往復が嫌だし、プロットと本文の往復が嫌なのかも?
プロットと設定の往復、はそんなに嫌じゃないが、時間がかかりすぎるということがわかりきっているのでちょっと萎える。
プロットと本文の往復はマジで嫌だな。プロットに情報が足りなくて本文が書けなくなる、というのはなんかもうすべて。
そもそも、文章がかける気がしない、とか
小説用の文章ってどう書くんだったっけ、という感じ。
文章模写かなァ。思い出すところから始まるのかもしれない。
脳内に浮かぶ音たち
だからって死ななくたっていいじゃない
秋時雨どうしようもない僕たちは
最近の短歌
文章にある感覚を実体に仮託するみたいなものを書いてがち
全人類短歌を詠んで出すべきだ スライスしてあるローストビーフ
赤ちゃんのときはあなたも無垢でした 泥団子をまたきれいに磨く
もう二度と誰かになるのはやめましょう 個体に固めて焼けだす粘土
どれもそれぞれ、「短歌」がどういうものかというイメージや、「無垢であったことを取り戻そうとすること」、「誰かになろうとする自傷行為」のイメージを七々で実体として書いている
情景描写できなくなってね?
世界に対する解像度というか、感受性が低い気がするんだよな。受容体が働いていない。
自ら見る幻覚ではなく、受動的に見る幻覚が多いから、そういうことになっているのかも
脳内をきれいにしたい。
それはすべてをはきだすという意味でもそうだし、
きれいなものだけで埋め尽くしたいという意味でもそう。
舌のしびれと背中のいたみ
タバコばかり吸っているせいか、味蕾が死んでいるのか、舌がなんだかしびれている。
床ずれを起こしたのかしらないが、背中の表面の皮膚がひきつれて、ぴりぴりといたい。
ほんとうに小説が書きたいのならば、おそらくぼくはPCに向かい合うのではなく、散歩をしながらスマートフォンに向かって喋り続けるべきだ。
最近の記憶で、“書けそう”になったのはそういうときだけなので。
そのときは、書けそう、という意識に従って帰ってきて、PCに座ったとたんにどんどんつぶやいていた展開と文字が霧散していって、というかもう“さっきまで書いてたものをもう一度描き起こさなければならない”というしんどさに打ち勝てず、寝たら終わった。
つまり、声に出すことで続きを書いてもよいという感覚になる。あるいは勝手に続きが出てくるようになる。
音声/視覚の人間だから、視覚を刺激しながら音声で入ってくることでできるようになるのかな。
思考が回っているのか、それとも指先が勝手に筆記を続けて思考らしきものを紡いでいるのかわからない。そろそろ指も痛くなってきた。
けれど、どちらにせよ、ここに思考らしきものが残っていて、足跡になっているということが重要なのだ。
そのなかに、本当に必要な情報が入っているかもしれないから。
アイディアとはそのままの形ではふぞろいで、なにかに使うことができないけれど、削っていって洗練させると、形を持って役割が生まれる。
それはそれとして、もらったお題で考えたネタ、どうやって形にしようか。
長くなりそうだけど、まぁそれは工夫次第なのかなぁ。
三人称があっている気がする。
熊野(くまの) 宗田(そうだ) とかか
あーでももうなんでかしらんけど頭がなにもはたらかないので横になります さようなら